–느라を知らなかった話|「掃除で大変だった」が自然に書けなかった

韓国語学習

はじめに

韓国語の勉強を続けていると、「意味は伝わるけれど、もっと自然な言い方がある」と教えていただくことがあります。

私にとって、その一つが –느라 でした。

ある日、落ち葉がたくさん積もっていた日のことを韓国語で日記に書きました。

私は、

청소는 낙엽이 많아서 힘들었다.
(掃除は落ち葉が多くて大変だった)

と書いたのです。

意味は伝わると思っていましたし、自分でも特に違和感はありませんでした。

ところが、添削では、

낙엽이 너무 많아서 청소하느라 고생했다.
(落ち葉がとても多くて、掃除するのに苦労した)

という、もっと自然な表現を教えていただきました。

「掃除に時間や労力を取られて苦労した」という様子まで伝わってきます。

私は最初、

청소하느라 って、どういう意味なんだろう?」

と思いました。

それまでの私は、「〜して大変だった」と言いたいときは、–아서/어서 を使えば十分だと思っていたからです。

そのあと説明を読んでいくうちに、–느라 は「〜するのに手いっぱいで大変だった」「〜していて他のことができなかった」といった場面でよく使われる表現だと分かりました。

今振り返ると、私は「意味が伝わる韓国語」と「より自然な韓国語」は少し違うということを、まだ十分に意識できていなかったのだと思います。

この記事では、私が –느라 を知らなかったために、「掃除で大変だった」という何気ない一文が、より自然な韓国語へ変わっていった体験について書いてみたいと思います。

最初は「힘들었다」で十分だと思っていた

韓国語を勉強し始めた頃の私は、「大変だった」と言いたいときは 힘들었다 を使えば十分だと思っていました。

教科書でも、

힘들어요.
(大変です)

힘들었어요.
(大変でした)

のような表現をよく見かけます。

そのため、何かが大変だった理由を書きたいときは、

–아서/어서

を使って、

낙엽이 많아서 힘들었다.
(落ち葉が多くて大変だった)

のように書けば自然なのだと思っていました。

実際、それまでの日記でも、この形で困ることはほとんどありませんでした。

だから、「掃除で大変だった」と書いたときも、

청소는 낙엽이 많아서 힘들었다.

で十分だと思っていたのです。

当時の私にとって大切だったのは、「意味が伝わること」でした。

そのため、「もっと韓国語らしい言い方があるかもしれない」ということまでは、あまり考えていませんでした。

今振り返ると、この頃の私は、「文法的に間違っていなければ大丈夫」という気持ちが強かったのだと思います。

だからこそ、あとになって 청소하느라 고생했다 という表現を教えていただいたとき、

「こんな言い方もあるんだ」

と、新しい発見になったのでした。

添削で「청소하느라」を教えてもらって驚いた

日記を書き終えた私は、

청소는 낙엽이 많아서 힘들었다.

で大丈夫だと思っていました。

ところが、添削では、

낙엽이 너무 많아서 청소하느라 고생했다.

という表現を教えていただきました。

私はそれを見て、

청소하느라 って、どういう意味なんだろう?」

と思いました。

それまで勉強してきた文法には出てこなかった表現だったので、最初は意味がよく分かりませんでした。

しかも、

고생했다
(苦労した)

という言葉と一緒に使われていたことで、

「ただ『大変だった』と言うのとは、少し違う表現なのかな?」

という疑問も出てきました。

そこで調べてみると、–느라 は、

「〜することにかかりきりだった」

「〜していて疲れた」

「〜していて他のことができなかった」

というように、一つの行動に時間や労力を取られたことを表すときによく使われる表現だと知りました。

私はそこで初めて、

「だから 청소하느라 고생했다 が自然なんだ」

と納得しました。

今振り返ると、この出来事は「間違いを直してもらった」というよりも、

「韓国語では、こんなふうに気持ちまで自然に表現できるんだ」

と気づいた瞬間だったように思います。

調べてみると、–느라には使う場面があった

–느라 は、どういうときに使うんだろう?」

そう思った私は、いつものように辞書や文法書、解説サイトで調べてみることにしました。

すると、そこで初めて分かったことがありました。

それは、–느라 は「〜したので」という単なる理由ではなく、

「〜することに時間や労力を取られて、大変だった」

という気持ちを表すときによく使われる表現だということです。

一方で、私が使っていた –아서/어서 は、理由や原因を幅広く表すことができます。

例えば、次のような違いがあります。

表現 よく使う場面
–아서/어서 理由や原因を伝えるとき
–느라 忙しかった・疲れた・苦労した・他のことができなかった、といった場面

例えば、

낙엽이 많아서 힘들었다.
(落ち葉が多くて大変だった)

でも意味は伝わります。

でも、

낙엽이 너무 많아서 청소하느라 고생했다.
(落ち葉がとても多くて、掃除するのに苦労した)

とすると、「掃除に時間や労力がかかって大変だった」という様子まで伝わってきます。

私はそれを知って、

–느라 は、『大変だった』という気持ちと、とても相性がいい表現なんだ」

と少しずつ理解できるようになりました。

もちろん、一度説明を読んだからといって、すぐに使いこなせるようになったわけではありません。

それでも、この出来事を通して、

「意味が伝われば十分」ではなく、「どんな気持ちを表したいのか」によって文法も変わることがあるのだと感じました。

日記を書き続けて少しずつ使えるようになった

–느라 の使い方は、文法書を一度読んだから理解できたわけではありませんでした。

韓国語で日記を書き続け、そのたびに添削を受ける中で、少しずつ使われる場面が分かるようになっていったのです。

以前の私は、「大変だった」と言いたいときは、힘들었다 と書けば十分だと思っていました。

でも、–느라 を知ってからは、

「ここは –느라 を使った方が自然なのかな?」

と考えるようになりました。

例えば、

「掃除で大変だった」

「準備で忙しかった」

「勉強していて疲れた」

そんな出来事を書くたびに、

「時間や労力を取られたことを表したいなら、–느라 が使えるかもしれない」

と思い出すようになったのです。

もちろん、今でも迷うことはあります。

でも、以前のように「意味が伝わればいい」と考えるだけではなく、

「韓国語では、どんな表現をすると自然に聞こえるのだろう?」

と意識しながら文章を作るようになりました。

今回の –느라 も、日記を書いていなければ知ることのなかった表現だったかもしれません。

だからこそ、一つひとつ添削していただきながら学んだ経験が、少しずつ韓国語らしい表現を身につけることにつながっているのだと感じています。

私がこの文法から学んだこと

韓国語を勉強していた頃の私は、

낙엽이 많아서 힘들었다.

と書けば、「落ち葉が多くて大変だった」という意味は十分に伝わると思っていました。

実際、その文章でも間違いではありません。

でも、添削で

청소하느라 고생했다.

という表現を教えていただいたことで、「意味が伝わること」と「韓国語らしく自然に伝えること」は少し違うのだと気づきました。

最初は、

「こんな表現があるなんて知らなかった」

と思いました。

でも調べてみると、–느라 は「〜することに時間や労力を取られて大変だった」という気持ちを、とても自然に表せる便利な表現でした。

今回の出来事を通して私が学んだのは、韓国語は文法が合っているだけではなく、その場面に合った表現を選ぶことも大切だということです。

だから今は、新しい表現に出会うと、

「この文法は、どんな気持ちを表したいときに使うのだろう?」

と考えるようになりました。

そうすると、以前はただ覚えるだけだった文法も、「こういう場面で使うんだ」と実感しながら身につけられるようになってきたのです。

これからも、日記を書いて添削を受ける中で、

「意味は伝わるけれど、もっと自然な韓国語がある」

という表現に出会うことがあると思います。

でも今は、その一つひとつの発見を楽しみながら、少しずつ自然な表現を身につけていきたいと思っています。

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