はじめに
韓国語の勉強を続けていると、日本語では同じ意味に訳されるのに、使い分けがよく分からない文法に出会うことがあります。
私にとって、その一つが –(으)ㄴ/는 것 같다 と –나 보다 でした。
韓国語を勉強し始めた頃、私は「~みたい」と言いたいときには –(으)ㄴ/는 것 같다 を使うものだと思っていました。
ところが、その後 –나 보다 という表現を知りました。
こちらも日本語では「~みたい」「~のようだ」と訳されることがあります。
「どちらも『みたい』なら、何が違うんだろう?」
そう思ったものの、当時の私には、どんな場面で使い分けるのかが分かりませんでした。
そんな疑問を抱えていた頃、好きなSHINeeの曲「방백(Aside)」の歌詞に 있나 봐 という表現が出てくることに気づきました。
教科書で見たことのある文法が、好きな曲の中で使われていることが気になり、改めて二つの表現の違いを考えるようになりました。
この記事では、私が –(으)ㄴ/는 것 같다 と –나 보다 を同じ「~みたい」だと思っていた頃のことを振り返りながら、SHINeeの歌詞をきっかけに、少しずつ使い方への理解が変わっていった過程を書いてみたいと思います。
「みたい」は –(으)ㄴ/는 것 같다 だと思っていた
韓国語を勉強し始めた頃、私は日本語の「~みたい」に当たる表現として、–(으)ㄴ/는 것 같다 を覚えました。
例えば、次のような文です。
비가 오는 것 같아요.
(雨が降っているみたいです)
사람이 많은 것 같아요.
(人が多いみたいです)
맛있는 것 같아요.
(おいしいみたいです)
どれも日本語では「~みたい」と訳すことができます。
私はこうした例文を通して、
「なるほど、『~みたい』と言いたいときには –(으)ㄴ/는 것 같다 を使えばいいんだな」
と理解しました。
そのため、日記を書いたり例文を作ったりするときも、日本語で「~みたい」と言いたくなると、自然にこの表現を思い浮かべていました。
当時の私には、それで特に困ることもありませんでした。
まだ –나 보다 という表現を知らなかったので、ほかにも似た意味を表す文法があることまで考えていなかったのです。
今振り返ると、私は韓国語の表現を、日本語の訳と一対一で結び付けて覚えようとしていたのだと思います。
だからこそ、後になって同じ「~みたい」と訳される –나 보다 に出会ったとき、どう使い分ければよいのか分からなくなってしまったのです。
–나 보다 を知っても違いが分からなかった
韓国語の勉強を続ける中で、私は –나 보다 という表現を知りました。
文法の説明には、「~みたいだ」「~のようだ」と書かれていました。
それを読んだとき、私が最初に思ったのは、
「これも『~みたい』なんだ」
ということでした。
それまで私は、「~みたい」と言いたいときには –(으)ㄴ/는 것 같다 を使うものだと思っていたので、新しい表現をどう使い分ければよいのか分かりませんでした。
例えば、
비가 오는 것 같아요.
(雨が降っているみたいです)
비가 오나 봐요.
(雨が降っているみたいです)
という二つの文です。
どちらも日本語にすると、ほとんど同じ意味に見えます。
「同じ『雨が降っているみたい』なのに、どうして韓国語では二つの言い方があるんだろう?」
そんな疑問が浮かびました。
文法書などで調べてみると、–(으)ㄴ/는 것 같다 は話し手の推測をやわらかく伝える表現で、–나 보다 は何らかの手がかりから「どうやらそうらしい」と判断するときによく使われる、と説明されていました。
でも、当時の私には、その違いがすぐには理解できませんでした。
「話し手の推測」と「手がかりからの判断」と言われても、どちらも何かを推測していることには変わりないように思えたからです。
そのため、実際に日記や会話で使おうとすると、以前から知っている –(으)ㄴ/는 것 같다 の方を選んでいました。
–나 보다 は文法として知っていても、まだ自分の中で使い方が整理できていなかったのです。
そんな私が改めて –나 보다 を意識するようになったのは、好きな曲の歌詞に出てきた表現がきっかけでした。
SHINeeの歌詞「있나 봐」が気になった
–나 보다 の使い方がまだよく分からなかった頃、私はSHINeeの曲をよく聴いていました。
その中でも印象に残っているのが、「방백(Aside)」 という曲です。
あるとき、歌詞を見ていると、있나 봐 という表現が目に留まりました。
「あっ、これも –나 보다 だ」
教科書で勉強した文法が、好きな曲の歌詞に出てきたことが気になったのです。
있나 봐 は、있다 に –나 보다 が付いた表現です。
있다 には「ある」「いる」という意味がありますが、前に続く言葉によって、文全体の意味は変わります。
私はこの歌詞を、相手に向かう気持ちが今も続いているようだ、という意味に理解しました。
でも、そこでまた疑問が浮かびました。
「どうしてここでは 있는 것 같아 ではなく、있나 봐 なんだろう?」
どちらも日本語では「~みたい」と訳せるのに、なぜこの表現が使われているのか、当時の私には分かりませんでした。
もちろん、歌詞の一部分だけを見て、二つの文法の違いをはっきり説明できるわけではありません。
それでも、教科書の例文ではあまり気に留めていなかった –나 보다 が、好きな曲の中では不思議と印象に残りました。
それからは、歌詞を見返すたびに、있나 봐 という表現が気になるようになりました。
最初は歌詞の意味を知りたかっただけなのに、いつの間にか「どうしてこの言い方をするのだろう」と考えるようになっていたのです。
この出来事が、私にとって –나 보다 を単に覚えるだけでなく、その使われ方にも目を向けるきっかけになりました。
二つの「みたい」の違いが少し分かってきた
–(으)ㄴ/는 것 같다 と –나 보다 の違いは、文法書を一度読んだからといって、すぐに理解できたわけではありませんでした。
SHINeeの歌詞に出てきた 있나 봐 が気になったことをきっかけに、ドラマや例文の中でも、二つの表現がどのように使われているのか意識するようになりました。
以前の私は、日本語でどちらも「~みたい」と訳せるなら、同じように使えるのではないかと思っていました。
でも、少しずつ使い方を調べていくうちに、推測の伝え方には違いがあることが分かってきました。
–(으)ㄴ/는 것 같다 は、「~のように思う」「~みたいだ」と、自分の判断や推測をやわらかく伝えるときに使われます。
一方、–나 보다 は、見たり聞いたりしたことなど、何らかの手がかりから「どうやら~らしい」と判断するときによく使われます。
例えば、
비가 오는 것 같아요.
(雨が降っているみたいです)
비가 오나 봐요.
(どうやら雨が降っているみたいです)
という二つの文です。
どちらも雨が降っていると推測していますが、비가 오나 봐요 の方は、何かに気づいて「どうやら雨が降っているらしい」と判断した感じが伝わりやすくなります。
ただし、–(으)ㄴ/는 것 같다 も、目の前の様子や聞いた情報をもとに推測するときに使えます。
そのため、二つの表現は、いつもはっきり使い分けられるわけではありません。
私は以前、「日本語で同じ意味なら、どちらを使っても同じなのでは」と考えていました。
でも今は、単に日本語訳を比べるだけでなく、「話している人は何をもとに、どのような気持ちで推測しているのだろう」と考えるようになりました。
もちろん、今でも迷うことはあります。
それでも、–나 보다 は、以前のように「もう一つの『みたい』」というだけの存在ではなくなりました。
好きな曲の中で気になった小さな表現が、韓国語のニュアンスを考えるきっかけになったのだと思います。
まとめ
韓国語を勉強し始めた頃、私は「~みたい」と言いたいときには –(으)ㄴ/는 것 같다 を使うものだと思っていました。
その後、同じように「~みたい」と訳される –나 보다 を知り、二つの違いが分からなくなりました。
そんな私が使い方を改めて考えるようになったきっかけは、SHINeeの「방백(Aside)」に出てきた 있나 봐 という表現でした。
調べていくうちに、二つの表現には推測の伝え方に違いがあるものの、使える場面が重なることもあり、日本語訳だけでは区別できないと分かってきました。
以前の私は、似た意味の文法が出てくると、「どちらを使えば正しいのだろう」と考えていました。
でも今は、表現の違いを知るだけでなく、話し手が何を感じ、どのような状況で使っているのかにも目を向けたいと思うようになりました。
好きな曲の中で出会った小さな表現が、韓国語の使い方を考え直すきっかけになったのです。
これからも、ドラマや歌詞の中で気になった表現を一つずつ確かめながら、少しずつ理解を深めていきたいと思います。
なお、것 같다 の前に付く形の違いについても、以前、戸惑ったことがありました。
そのときの疑問と、理解していった過程は、こちらの記事でまとめています。

