はじめに
韓国語の勉強を続けていると、「教科書ではこう習ったのに、実際は少し違うように感じる」ということがあります。
私にとって、その一つが –(으)ㄹ 것 같다 でした。
初めてこの文法を勉強したとき、使っていたテキストには「推測の表現」と書かれていました。そして、その説明には「『~そうです・~ようです・~みたいです』という未来を推測する表現を作ることができます」と書かれていたのです。
私はその説明を読んで、
「なるほど、未来のことを予想するときに使う文法なんだ」
と素直に理解しました。
実際、テキストに載っていた例文も未来について話すものが多く、特に疑問を持つことはありませんでした。
ところが、その後ドラマや会話を聞いていると、–(으)ㄹ 것 같다 が未来とは思えない場面でもたくさん使われていることに気づきます。
「これって未来を言っているわけではないよね?」
「私の理解と何か違うのかな?」
そんな疑問が頭に浮かびました。
今振り返ると、私は教科書の説明を間違って理解していたわけではありません。ただ、その頃はまだ初心者だったため、「未来を推測する」という言葉を、そのまま受け取っていたのだと思います。
この記事では、私が –(으)ㄹ 것 같다 を「未来の文法」だと思っていた頃のことを振り返りながら、その後少しずつ見え方が変わっていった過程を書いてみたいと思います。
私の中では「未来を推測する文法」だった
–(으)ㄹ 것 같다 を初めて勉強した頃の私は、この文法を「未来を推測するときに使う表現」だと思っていました。
そう考えていたのには、ちゃんと理由がありました。
使っていたテキストには、「推測の表現」という見出しがあり、その下には「『~そうです・~ようです・~みたいです』という未来を推測する表現を作ることができます」と書かれていました。
私はその説明を読んで、
「これから起こることを予想するときに使う文法なんだな」
と、そのまま理解しました。
実際、テキストに載っていた例文も、未来について話す内容が中心だったように思います。
例えば、
내일 비가 올 것 같아요.
(明日は雨が降りそうです)
のような文を見ると、「未来を推測する」という説明ともぴったり一致します。
そのため、当時の私は –(으)ㄹ 것 같다 を見るたびに、
「未来のことを言う文法」
というイメージを持っていました。
もちろん、その頃は何も疑問に思っていませんでした。
むしろ、「推測の表現」という説明のおかげで理解しやすいと感じていたくらいです。
今振り返ると、この頃の私は教科書の内容を素直に受け止めて勉強していました。
そして、その理解のまま韓国語に触れていく中で、少しずつ「あれ?」と思う場面に出会うようになったのです。
