はじめに
韓国語の勉強を続けていると、「やっと分かった」と思った直後に、また新しい疑問にぶつかることがあります。
私にとって、その代表的な出来事の一つが「모으다 → 모아요」でした。
以前、私は「슬프다 → 슬퍼요」という活用を見て思考が止まったことがあります。その後、「으変則活用」というルールを知り、「なるほど、そういう仕組みだったのか」と少し安心しました。
当時の私は、「活用にはちゃんとルールがあるのだ」と分かったことが嬉しく、以前よりも韓国語が整理できたような気がしていました。
実際、
쓰다 → 써요
크다 → 커요
のような活用を見ると、「ㅡが変化するんだな」と考えられるようになっていました。
ところが、そんな私の前に現れたのが「모으다 → 모아요」でした。
私は最初、この形を見て戸惑いました。
「えっ? どうしてモオヨじゃなくてモアヨなの?」
「さっき覚えたルールと違うのでは?」
そんな疑問が頭に浮かんだのです。
今振り返ると、このときの私は韓国語の活用を少し理解し始めた段階でした。だからこそ、以前よりもかえって混乱したのかもしれません。
この記事では、「모으다 → 모아요」を見て再び立ち止まった頃のことを振り返ってみたいと思います。
ルールが分かったと思っていた
「슬프다 → 슬퍼요」の活用に戸惑った後、私は少しずつ韓国語の活用について学ぶようになりました。
それまでの私は、「どうしてそう変わるのか」が分からずに悩んでいました。しかし、「으変則活用」というルールを知ったことで、韓国語の活用には一定の規則があることが分かってきたのです。
もちろん、全てを理解できていたわけではありません。
それでも、
쓰다 → 써요
크다 → 커요
のような活用を見ると、「ああ、こういう変化をするんだな」と以前より落ち着いて見られるようになっていました。
少なくとも、「全部丸暗記しなければならない」という状態からは少し前進した気がしていたのです。
今振り返ると、この頃の私は少し安心していたのだと思います。
韓国語は難しいけれど、ルールを覚えれば少しずつ理解できる。
そんな感覚を持ち始めていました。
だからこそ、新しい単語を見ても以前ほど身構えなくなっていました。
分からないことがあっても、「きっと何か理由があるのだろう」と考えられるようになっていたのです。
ところが、その安心感は長く続きませんでした。
ある日、活用の例を見ていたときに、「모으다 → 모아요」という形が目に入ったのです。
私はその瞬間、「あれ?」と思いました。
それまで理解したつもりでいたルールでは、うまく説明できなかったからです。
そして私は、再び立ち止まることになりました。
모으다を見てまた固まった
私が「모으다 → 모아요」という活用を見たのは、活用のルールを少しずつ理解し始めた頃でした。
それまでに、「으変則活用」という考え方を知り、
쓰다 → 써요
크다 → 커요
のような変化も見ていました。
そのため、「ㅡ」が入っている単語を見ると、「きっと同じような変化をするのだろう」と考えるようになっていました。
だから、「모으다」という単語を見たときも、私は何となく同じ発想で考えました。
そして活用形を見た瞬間、頭の中に疑問符が浮かびました。
テキストには、
모으다 → 모아요
と書かれていたのです。
私はしばらくその文字を見つめていました。
「えっ?」
「どうして?」
という気持ちでした。
当時の私は、「으」がある単語は、以前に見た単語と同じような変化をするのだと思っていました。
ところが、「모아요」という形は、自分が予想していたものと違っていたのです。
何が違うのかをうまく説明することはできません。
でも、「思っていた形ではない」という違和感だけははっきりありました。
私は何度も、
모으다
모아요
を見比べました。
しかし、見れば見るほど分からなくなります。
「さっき覚えたルールは使えないの?」
「また別のルールがあるの?」
「韓国語の活用って、いくつルールがあるの?」
しかも、その頃は「바쁘다 → 바빠요」のような活用も目にしていました。
「프」が「퍼」になったり、「쁘」が「빠」になったりするのを見ると、何が同じで何が違うのか全く分かりません。
今ならそれぞれに理由があると分かりますが、当時の私には複雑な変化が次々に現れているようにしか見えませんでした。
今なら、「モアヨ」という形になっている理由も説明できます。
しかし当時の私には、そのための知識がまだありませんでした。
せっかく活用のルールが見え始めたと思っていたのに、また新しい疑問が現れたのです。
そして私は、「やっぱり韓国語は難しいな」と感じながら、再び立ち止まることになりました。
今度は前より混乱した
今振り返ると、「모으다 → 모아요」で戸惑ったときの混乱は、「맛있었어요」や「슬퍼요」のときとは少し違っていました。
「맛있었어요」を見た頃の私は、まだ韓国語を始めたばかりでした。読めないことや分からないことが多いのは当然だと思えます。
また、「슬퍼요」で止まったときも、活用というものを本格的に意識し始めたばかりでした。ルールを知らなかったのですから、理解できなくても不思議ではありません。
ところが、「모으다 → 모아요」を見た頃の私は違いました。
私はすでに、「으変則活用」という考え方を知っていました。
「なるほど、こういうルールがあるのか」と思い、それまでよりも韓国語が少し整理された気になっていたのです。
だからこそ、余計に混乱しました。
せっかくルールを覚えたのに、そのルールだけでは説明できない形が出てきたように見えたからです。
私は、
「また新しい例外なのかな」
「韓国語には例外ばかりあるのかな」
と考えていました。
もちろん実際には、ちゃんと理由があります。
しかし当時の私には、その理由が見えていませんでした。
むしろ、「分かったと思ったのに、また分からなくなった」という気持ちの方が強かったのです。
何も知らなかった頃よりも、少し知識が付いてきた頃の方が苦しかったような気もします。
なぜなら、理解できると思っていたのに理解できなかったからです。
そのため、「모아요」というたった三文字の活用が、以前の私にはとても難しく見えました。
韓国語を勉強しているはずなのに、進んでいるのか戻っているのか分からない。
そんな気持ちになりながら、私はテキストを眺めていたのでした。
また調べられなかった
今なら分からないことがあれば、まず調べようと思います。
インターネットで検索したり、文法書を開いたり、辞書で確認したりするでしょう。
しかし当時の私は、そうすることができませんでした。
「모으다 → 모아요」を見て違和感は覚えるのですが、何が分からないのかをうまく言葉にできなかったのです。
ただ漠然と、
「おかしい気がする」
「思っていたのと違う」
と感じているだけでした。
そのため、検索しようにも何を調べればよいのか分かりません。
「모아요 なぜ?」
と調べればよかったのかもしれませんが、当時の私にはそこまで発想が及びませんでした。
むしろ、テキストを見ながら考え込んでいる時間の方が長かったように思います。
「また別のルールなのかな」
「私が覚え間違えているのかな」
そんなことを考えていましたが、答えは見つかりませんでした。
そして結局、前回の「슬퍼요」のときと同じように、私はその疑問を解決できないまま終わってしまいました。
今思えば、とてももどかしい時間です。
しかし同時に、あの頃の私は韓国語の仕組みを理解しようとしていたのだとも思います。
ただ単語を覚えるだけなら、「모아요」とそのまま暗記して終わりだったかもしれません。
それでも私は、「どうしてそうなるのだろう」と考えていました。
答えにはたどり着けませんでしたが、その疑問を持ったこと自体は無駄ではなかったのだと思います。
そして、その疑問の答えを知るのは、もう少し後のことでした。
後になって知ったこと
それからしばらくして、私は韓国語の勉強を続ける中で、「모으다 → 모아요」がなぜその形になるのかを知ることになりました。
当時の私は、「으変則活用を覚えたのに、なぜ同じようにならないのだろう」と考えていました。
しかし実際には、「모으다」は単純に「으変則活用だから」で説明できる単語ではなかったのです。
今なら、「모으다」が私の思っていた単純な活用とは少し違う仕組みで変化していたことが分かります。
でも、当時の私にはそんなことは全く見えていませんでした。
そのため、「また例外が出てきた」と感じていたのです。
後になって仕組みを知ったとき、私は少し拍子抜けしました。
なぜなら、特別な単語だったわけでも、覚えるしかない例外だったわけでもなかったからです。
ちゃんと理由があり、ちゃんと説明できる変化でした。
もちろん、一度説明を聞いただけですぐに理解できたわけではありません。
実際には何度も例文を見たり、他の単語と比べたりしながら少しずつ納得していきました。
それでも、「理由がある」と知ったことは大きかったと思います。
以前の私は、「韓国語の活用は覚えにくいもの」「例外がたくさんあるもの」だと思っていました。
しかし少しずつ勉強を続けるうちに、「理解できないのはルールがないからではなく、まだ自分が知らないだけなのかもしれない」と考えられるようになりました。
今振り返ると、「모으다 → 모아요」で立ち止まった経験も、韓国語の仕組みを理解するための大切な通過点だったのだと思います。
まとめ
韓国語の勉強を続けていると、「やっと分かった」と思った直後に、また新しい疑問に出会うことがあります。
私にとって、「모으다 → 모아요」はまさにそんな出来事でした。
「슬프다 → 슬퍼요」で活用のルールに戸惑い、その後「으変則活用」を知って少し安心しました。しかし今度は、「모아요」という形を見て再び立ち止まることになったのです。
当時は、「どうしてそうなるのか」が分からず、とても複雑に感じました。調べようにも何を調べればよいのか分からず、結局その日は疑問を抱えたまま終わってしまいました。
それでも今振り返ると、あの混乱は決して後退ではなかったと思います。
何も知らなかった頃は疑問すら持てませんでした。しかし、「모아요」で立ち止まったということは、それまで学んできたことを使って考えようとしていたということでもあります。
実際、その後に理由を知ったとき、「また例外だった」のではなく、「ちゃんと説明できる変化だった」と分かりました。
韓国語の勉強は、一つ理解するとまた新しい疑問が出てきます。でも、それは前に進んでいる証拠なのかもしれません。
これからも分からないことに何度も出会うと思いますが、焦らず少しずつ理解を積み重ねていきたいと思います。

