はじめに
韓国語の勉強をしていると、「どうしてそうなるのか分からない」と思う瞬間があります。
私にとって、その代表的な出来事が「슬퍼요」でした。
韓国語を勉強し始めた頃、私は体調を崩してしまい、しばらく学習から離れていた時期があります。その後、少しずつ体調が落ち着き、また勉強を再開しようと思ってテキストを開きました。
そのとき目に入ったのが、感情を表す形容詞の活用でした。
즐겁다 → 즐거워요(楽しいです)
슬프다 → 슬퍼요(悲しいです)
설레다 → 설레요(ときめきます)
무섭다 → 무서워요(怖いです)
今ならどれも自然な形に見えます。しかし当時の私は、「슬프다」が「슬퍼요」になる理由が全く分かりませんでした。
「どうして『프』が『퍼』になるの?」
「何かルールがあるの?」
「それとも全部覚えるしかないの?」
そんな疑問ばかりが頭に浮かびます。
それまでにも韓国語の勉強で悩んだことはありましたが、このときは本当に思考が止まりました。
今振り返ると、それは韓国語の活用と本格的に向き合う最初の出来事だったように思います。この記事では、「슬퍼요」を見て固まった当時のことを振り返ってみたいと思います。
久しぶりにテキストを開いた
韓国語の勉強を始めた頃の私は、とにかく夢中で学習していました。ハングルを書いて覚えたり、気になった単語をノートに書き写したりしながら、少しでも読めるようになりたいと思っていたのです。
しかし、その後体調を崩してしまい、勉強は少しずつ止まっていきました。
当時は血圧の問題もあり、夜なかなか眠れない日が続いていました。病院に通いながら生活を立て直すことが優先になり、韓国語の勉強どころではない時期もあったと思います。
それでも、「また勉強したい」という気持ちは消えていませんでした。
しばらくして体調が少し落ち着いてきた頃、私は久しぶりに韓国語のテキストを開きました。
「また少しずつ始めてみよう」
そんな気持ちだったと思います。
久しぶりの勉強だったので、まずは難しいことを考えず、テキストを読み進めていました。すると、感情を表す形容詞のページが目に入りました。
そこには、
즐겁다 → 즐거워요(楽しいです)
슬프다 → 슬퍼요(悲しいです)
설레다 → 설레요(ときめきます)
무섭다 → 무서워요(怖いです)
と書かれていました。
私は何気なくそのページを見ていたのですが、ある単語のところで目が止まりました。
それが、「슬프다 → 슬퍼요」です。
その瞬間、「あれ?」という感覚が頭に浮かびました。
そして私は、そのページを見つめたまま考え込むことになったのです。
どうして「프」が「퍼」になるの?
私はテキストを見ながら、感情を表す形容詞を一つずつ眺めていました。
즐겁다 → 즐거워요
설레다 → 설레요
무섭다 → 무서워요
どれも初めて見る表現でしたが、その中でも特に気になったのが、
슬프다 → 슬퍼요
でした。
私はその文字を見たまま、しばらく考え込みました。
「どうして『프』が『퍼』になるのだろう?」
という疑問が頭から離れなかったのです。
当時の私は、韓国語の基本的な文章や単語を少しずつ覚えていました。しかし、活用にはさまざまなルールがあることまでは理解していませんでした。
そのため、「変化している」ということは分かっても、「なぜそう変化するのか」が分かりません。
むしろ、「変わり方がおかしい」と感じていました。
例えば、「설레다 → 설레요」のように、あまり形が変わっていないものもあります。
それなのに、「슬프다」は「슬퍼요」になっています。
私には、その違いが全く理解できませんでした。
「何かルールがあるのかな」
「私が見落としているだけなのかな」
そんなことを考えながら、何度も文字を見比べていました。
しかし、見れば見るほど分からなくなります。
今なら、「どうしてそうなるのか」を説明できます。でも当時の私には、「프」が「퍼」になる理由を考えるための知識そのものがありませんでした。
だからこそ、そのページを前にして何も考えられなくなってしまったのだと思います。
他の単語も見てみたらもっと混乱した
「슬프다 → 슬퍼요」が理解できなかった私は、「他の単語を見れば何か分かるかもしれない」と思いました。
そこで、同じページに載っていた形容詞をもう一度見比べてみました。
즐겁다 → 즐거워요
슬프다 → 슬퍼요
설레다 → 설레요
무섭다 → 무서워요
今見ると、それぞれにルールがあることが分かります。しかし当時の私には、どこが同じでどこが違うのか全く見えていませんでした。
まず、「설레다 → 설레요」はほとんど形が変わっていないように見えます。
それなら、「슬프다 → 슬퍼요」も同じようになりそうな気がします。
ところが実際には違いました。
さらに、「즐겁다 → 즐거워요」や「무섭다 → 무서워요」を見ると、今度はまた別の変化をしているように見えます。
私はテキストの文字を何度も見比べながら、
「これは同じルールなの?」
「それとも別々に覚えるものなの?」
と考えていました。
しかし答えは見つかりません。
一つ分かったと思ったら、別の単語でまた分からなくなります。
そのうち、「どれが特別で、どれが普通なのか」さえ分からなくなってしまいました。
今振り返ると、私は活用のルールを理解しようとしていたというより、目の前で起きている変化そのものを理解しようとしていたのだと思います。
そして、そのための知識がまだ足りていませんでした。
だから、単語を見比べれば見比べるほど整理されるどころか、かえって頭の中が混乱していったのです。
あの頃の私は、「韓国語ってこんなに複雑なのか」と感じながら、テキストのページを眺めていたのでした。
分からないままページを閉じた
しばらくテキストを見つめていましたが、結局私は答えを見つけることができませんでした。
「どうして『프』が『퍼』になるのだろう」
「何かルールがあるのだろうか」
そんな疑問は頭の中に残ったままでした。
今なら、分からないことがあればインターネットで調べたり、辞書や文法書を確認したりすると思います。しかし当時の私は、そこまで行動することができませんでした。
何を調べればよいのかも分かりません。
そもそも、自分がどこでつまずいているのかさえ整理できていなかったのです。
そのため、テキストを見ながら考えてはみるものの、答えにはたどり着けませんでした。
そして最後は、
「今は分からない」
としか思えなくなりました。
勉強を再開したばかりだったこともあり、久しぶりの韓国語に頭がついていかなかったのかもしれません。
体調も完全に回復していたわけではなく、難しいことを考え続ける余裕もありませんでした。
結局、その日は疑問を解決できないままテキストを閉じました。
当時は少し悔しかったような気もします。
せっかく勉強を再開したのに、また分からないことにぶつかってしまったからです。
それでも、韓国語そのものを嫌いになったわけではありませんでした。
「今は分からないけれど、いつか理解できる日が来るかもしれない」
そんな気持ちがどこかに残っていたからこそ、私は完全に勉強をやめずに済んだのだと思います。
後になって知ったこと
それからしばらくして、私は再び韓国語の勉強を続けていく中で、以前に理解できなかった活用について少しずつ学ぶようになりました。
以前のように「とにかく覚えよう」とするのではなく、「なぜそうなるのか」を意識しながら学ぶようになったのも、この頃からだったと思います。
そしてあるとき、以前に理解できなかった「슬프다 → 슬퍼요」の変化には、「으変則活用」というルールがあることを知りました。
当時の私は、「どうして『프』が『퍼』になるのだろう」と不思議に思うばかりでした。しかし実際には、韓国語の活用には一定のルールがあり、「슬퍼요」だけが特別だったわけではなかったのです。
そのことを知ったときは、少し安心しました。
なぜなら、それまで私は「単語ごとに全部覚えなければならないのではないか」と思っていたからです。
もちろん、「으変則活用」を知ったからといって、すぐに全てが理解できたわけではありません。
実際、その後には「모으다 → 모아요」のような別の疑問も出てきました。
一つ分かったと思ったら、また新しい疑問が出てくる。その繰り返しでした。
それでも、「分からなかったことに理由があった」と知れたことは大きかったと思います。
今振り返ると、あの日テキストの前で固まっていた私は、韓国語の活用を初めて本気で意識した瞬間に立っていたのかもしれません。
そして、「どうしてそうなるのか」を考えるようになったことが、その後の学習につながっていったのだと思います。
まとめ
韓国語の勉強を再開したばかりの頃、私は「슬프다 → 슬퍼요」という活用を見て思考が止まりました。
今なら当たり前のように見える変化ですが、当時の私には理由が全く分かりませんでした。
「どうして『프』が『퍼』になるのだろう」
「何かルールがあるのだろうか」
そう考えながらテキストを見つめていましたが、答えは見つかりません。結局、その日は疑問を抱えたままページを閉じることになりました。
しかし、後になって振り返ると、それは決して無駄な時間ではなかったと思います。
分からなかったからこそ、「なぜそうなるのか」を考えるようになりました。そして、その疑問があったからこそ、後で「으変則活用」というルールを知ったときに納得することができたのです。
韓国語の勉強をしていると、どうしても理解できない表現や活用に出会うことがあります。私も何度も立ち止まりました。
それでも、今は分からなくても大丈夫だと思っています。
実際に私自身が、「슬퍼요」の前で固まったところから少しずつ前に進んできたからです。
焦らず続けていれば、いつか「あのとき分からなかったこと」がつながる日が来ると、私は思っています。
活用の仕組みが分かったと思ったあと、今度は 모으다 の変化でまた迷いました。
そのときに感じた疑問は、こちらの記事でまとめています。

