–지만と–는데が同じ『けど』に見えた話|しばらく気づかなかった違い

韓国語学習

はじめに

韓国語の勉強を始めた頃、私は「~けど」という表現には –지만 を使うものだと思っていました。

実際、最初に使い方を覚えた逆接表現が –지만 だったからです。

例えば、

피곤하지만 공부했어요.
(疲れているけど勉強しました)

비가 오지만 나갔어요.
(雨が降っているけど出かけました)

のように、日本語で「けど」と言いたい場面では、とりあえず –지만 を使っていました。

当時の私は、それで特に問題ないと思っていました。むしろ、「けど=–지만」と覚えていたので、他の表現を使おうという発想すらなかったのです。

ところが、韓国語の勉強を始めて2年ほど経った頃、私は –는데 という表現を知りました。

さらに、韓国語の日記を添削してもらう中で、

「ここは –는데 の方が自然です」

と教えてもらうことがあったのです。

「どちらも『けど』なのに、何が違うのだろう?」

そう思ったことが、私が –는데 を本気で意識し始めるきっかけでした。

今振り返ると、これは韓国語の文法そのものよりも、「言葉のニュアンスの違い」と向き合う最初の経験だったように思います。この記事では、私が –는데–지만 の違いを意識し、少しずつ理解できるようになるまでのことを振り返ります。

私の中では「けど=–지만」だった

当時の日記を振り返ると、私は「~けど」と書きたい場面で、ほとんど反射的に –지만 を使っていました。

理由は単純で、最初に覚えた逆接表現が –지만 だったからです。

教科書や学習動画では、

크지만 예뻐요.
(大きいけどきれいです)

피곤하지만 갔어요.
(疲れていたけど行きました)

のような例文が紹介されていました。

私はそれを見て、

「なるほど、日本語の『けど』–지만 を使えばいいんだな」

と理解しました。

「今日は疲れているけど勉強しました」

「雨だけど出かけました」

「忙しいけど韓国語を勉強しました」

といった内容を書きたいときは、とりあえず –지만 を使いました。

むしろ、他の選択肢があることをあまり意識していませんでした。

そのため、当時の私の韓国語日記には –지만 がよく登場していたと思います。

もちろん、その頃の私は、自分の使い方に何か足りないとは思っていませんでした。

実際、意味は通じますし、自分でも自然に書けているつもりだったのです。

今振り返ると、この頃の私は、日本語の「けど」をそのまま韓国語に置き換えて考えていました。

「けど=–지만」という分かりやすい図式を疑うようになったのは、後になって –는데 と出会ってからでした。

–는데 を知ったのに使えなかった

韓国語の勉強を続けていた頃、私は –는데 という表現を知りました。

文法の説明を読むと、「~けど」「~のに」などと訳されることがあり、意味だけを見ると –지만 とよく似ています。

そのため当時の私は、

「へえ、こういう表現もあるんだな」

と思った程度でした。

もちろん文法としては覚えました。しかし、実際にどういう場面で使うのかまではよく分かっていませんでした。

今思えば、その時点では –는데 を「知っていただけ」で、「使える状態」ではなかったのだと思います。

その証拠に、日記を書くときは相変わらず –지만 ばかり使っていました。

私の頭の中では、

「けど」と言いたい

–지만

という流れがすでに出来上がっていたのです。

ところが、韓国語の日記を添削してもらうようになると、少しずつ変化が起きました。

ある日、

「ここは –는데 の方が自然です」

という指摘を受けたのです。

私は「柿を取っていたら雨が降り始めた」という出来事を、韓国語の日記に書きました。

その頃の私は、日本語の「けど」に近い表現には –지만 を使うものだと思っていたため、この文でも最初は –지만 が浮かびました。

しかし、添削では、

감을 따고 있는데 비가 내리기 시작했다.
(柿を取っていたら雨が降り始めた)

のように、–는데 を使う方が自然だと教えてもらいました。

この文では、「柿を取っていたのに雨が降った」と、二つの内容を強く対比したいわけではありません。

「柿を取っていた」という状況を先に示し、その途中で「雨が降り始めた」という出来事につなげています。

ただ、そのときの私は、

「そうなんだ」

と思っただけで、なぜ –지만 ではなく –는데 なのかまでは、深く考えていませんでした。

しかし、この添削が心に残り、その後、日記を書くときにも –지만–는데 の違いが気になるようになりました。

今振り返ると、これが、私が二つの違いを本気で考え始めるきっかけだったのです。

ドラマを見たら –는데 だらけだった

–는데 が気になり始めてから、不思議なことが起こりました。

それまで何度も見ていた韓国ドラマや動画の中で、急に –는데 が耳に入るようになったのです。

もちろん、それ以前から使われていたはずです。

俳優さんたちが話すセリフの中にも、バラエティ番組の会話の中にも、ずっと前から –는데 は存在していました。

しかし当時の私は、その表現を意識していませんでした。

そのため、聞いていても聞き流していたのだと思います。

ところが、柿の日記を添削してもらったことをきっかけに、

「どうして –는데 が使われるのだろう?」

と考えるようになってからは違いました。

ドラマを見ていても、

「今の –는데 だ」

と思う場面が増えていったのです。

しかも、一度気になり始めると驚くほどたくさん出てきます。

それまでは一つの音のように聞き流していたのに、意識し始めてからは、セリフの語尾に –는데 が付くたびに耳が止まるようになりました。

「今は反対のことを言っているわけではないのに、どうして –는데 なのだろう」

そう考えながら聞いていると、何かを説明するとき、相手に話を切り出すとき、自分の事情を伝えるときなど、さまざまな場面で使われていることに気づきました。

私は次第に、–는데 は思っていた以上によく使われる表現だと分かってきました。

それまでの私は「逆接なら –지만」と考えていましたが、実際の会話では、強い逆接ではない場面でも –는데 が多く使われていたのです。

以前は、

「–지만 を使えば十分」

と思っていました。

しかし今度は、

「–는데 を使う理由があるはずだ」

と思うようになったのです。

この変化は、私の韓国語学習にとって大きなものだったと思います。

文法を覚えたことよりも、実際の韓国語の中で –는데 の存在に気づくようになったことの方が、その後の学習につながっていったように感じています。

違いを調べても最初は分からなかった

–는데 が気になるようになった私は、違いを調べてみることにしました。

すると、多くの教材や解説サイトには、

  • –지만 は逆接
  • –는데 は前提や状況の説明

といった説明が書かれていました。

今読むと分かりやすい説明です。

しかし当時の私には、その違いがよく理解できませんでした。

なぜなら、日本語にするとどちらも「けど」になることが多かったからです。

例えば、

「今日は少し疲れているけど、明日話してもいいですか」

という文を見たとき、私は、

「日本語では『けど』なのだから、–지만 でもよいのでは?」

と思っていました。

しかし、この文の前半は、後ろのお願いと反対の内容を表しているわけではありません。

「今日は疲れている」という事情を先に伝え、それを前提に「明日話してもいいですか」とお願いしています。

当時の私は、その「事情を示す」という感覚がまだ分かっていませんでした。

説明を読んでも、

「結局どちらも『けど』では?」

という感覚が消えません。

むしろ、調べれば調べるほど混乱していたような気がします。

また、文法の説明には、

–는데 は後ろの内容を自然につなげる」

「背景や状況を示す」

と書かれていることもありました。

しかし当時の私には、

「自然につなげるって何だろう?」

「背景ってどういうことだろう?」

という状態でした。

言葉の意味は分かっても、実際の感覚がつかめなかったのです。

当時の私は「文法の説明」だけで理解しようとしていましたが、本当に必要だったのは「実際の使われ方」をたくさん見ることだったのかもしれません。

ドラマや会話、添削された日記の中で何度も –는데 に触れるうちに、少しずつ感覚が育っていったのです。

当時は、説明を読んでも違いをすぐには理解できませんでした。それでも、分からないまま気にし続けたことが、その後の理解につながったのだと思います。

後になって少し分かってきた

何度も実際の使われ方に触れるうちに、韓国語では同じ「けど」と訳される表現でも、文の中で果たす役割が少し違うことが分かってきました。

なお、この記事では分かりやすくするために「–는데」とまとめていますが、形容詞には「–(으)ㄴ데」、名詞には「–인데」が付きます。

例えば –지만 は、

「AだけどB」

という対比や逆接を比較的はっきり示すことが多いように感じます。

一方で –는데 は、

「こういう状況なんだけどね」

「こういう前提があるんだけど」

というように、背景や状況を示しながら次の話につなげる感覚があります。

もちろん、最初からそんなふうに理解できたわけではありません。

むしろ、日記の添削で、

「ここは –는데 の方が自然です」

と教えてもらったことをきっかけに、実際の会話でも –는데 を意識するようになったからこそ、少しずつ気づけたのだと思います。

また、ドラマや会話を聞いていても、

「今のは強い逆接というより、状況を説明している感じだな」

と思う場面が増えていきました。

例えば、

오늘은 피곤하지만 공부했어요.
(今日は疲れているけど勉強しました)

という文では、「疲れているのに勉強した」という逆接がはっきり感じられます。

一方で、

오늘은 좀 피곤한데 내일 이야기해도 돼요?
(今日は少し疲れているのですが、明日話してもいいですか)

という文では、「今日は疲れている」という事情を先に伝え、その事情を前提に相手へお願いしています。

私の中では、まず次のように整理すると分かりやすくなりました。

–지만 は、前後の対比や逆接をはっきり示したいとき

–는데 は、状況や前提を示しながら後ろの話につなげたいとき

もちろん、実際には –는데 が逆接の意味で使われることもあり、すべてをこの二つに分けられるわけではありません。

それでも、「日本語でどちらも『けど』になるから同じ」と考えていた頃よりは、文の役割を見ながら選べるようになりました。

今でも迷うことはあります。

それでも、以前のように

「どちらも同じ『けど』だから違いが分からない」

と思うことは少なくなりました。

あの頃の私にとって –는데 は謎の文法でしたが、今では、相手に事情を伝えたり、次の話へやわらかくつないだりする表現として、少しずつ見えるようになってきました。

まとめ

韓国語を勉強し始めた頃の私は、「けど」と言いたいときは –지만 を使うものだと思っていました。

一度の添削をきっかけに、「どうしてここは –지만 ではなく –는데 なのだろう?」と考えるようになりました。すると、ドラマや会話の中でも –는데 が耳に入るようになったのです。

今振り返ると、私が理解できるようになったのは、文法説明を読んだからだけではありません。実際に使われている場面を何度も見たり聞いたりしたことで、少しずつ感覚が育っていったのだと思います。

韓国語の勉強では、知っただけでは使えるようにならない文法がたくさんあります。–는데 も私にとってはその一つでした。

今でも、–지만–는데 のどちらを使うか迷うことはあります。

それでも、「日本語で『けど』になるから –지만」と反射的に考えていた頃とは、韓国語の見え方が少し変わりました。

一つの日本語訳だけで覚えるのではなく、その文が何を対比し、どんな事情を相手に伝えようとしているのかを見ること。それが、私が –는데 との出会いから学んだことです。


–지만 と –는데 の違いが少し見えるようになったあと、私は今度は「楽しいけど」という文で再び迷いました。

「楽しい」と訳される単語だけでなく、–지만・–는데・–아/어도の選び方でも止まってしまったのです。

そのときのことは、こちらの記事にまとめています。

『楽しい』が分かったと思ったら、今度は『楽しいけど』で止まった話|–지만・–는데・–아/어도の違い

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