はじめに
韓国語の勉強を続けていると、「やっとルールが分かった」と思った直後に、また別のところで立ち止まることがあります。
私にとって、その一つが 있다 の活用でした。
以前、私は –(으)ㄴ 것 같다 と –(으)ㄹ 것 같다 の違いでかなり混乱しました。
形容詞の場合は、
パッチムがなければ ㄴ 것 같다
パッチムがあれば 은 것 같다
ㄹパッチムなら ㄹ を取って ㄴ 것 같다
というように、自分なりに整理しようとしていたのです。
例えば、
좋다 → 좋은 것 같아요
크다 → 큰 것 같아요
のような形を見ると、「なるほど、こう変わるんだな」と少し分かった気がしていました。
ところが、そこで出てきたのが 있다 → 있는 것 같아요 でした。
私はそれを見て、
「えっ?」
と思いました。
있다 は形容詞だと習ったはずなのに、どうして 있은 것 같아요 ではなく 있는 것 같아요 になるのだろう。
また新しい例外が出てきたような気がして、頭の中が一気に混乱しました。
この記事では、私が 있다 は形容詞なのに 있는 になることに戸惑い、「あれ?」と感じた頃のことを振り返ってみたいと思います。
ルールは覚えたはずだった
–(으)ㄴ 것 같다 を勉強した頃、私は形容詞の活用を自分なりに整理しようとしていました。
教科書には、形容詞は語幹の形によって活用が変わると書かれています。
例えば、
예쁘다 → 예쁜 것 같아요
좋다 → 좋은 것 같아요
크다 → 큰 것 같아요
といった例文を見ながら、
「パッチムがあるかないかで形が変わるんだな」
と少しずつ覚えていきました。
さらに、ㄹパッチムの形容詞では、
길다 → 긴 것 같아요
のように、ㄹがなくなって ㄴ が付くことも学びました。
もちろん、一度で覚えられたわけではありません。
何度も例文を見返しながら、
「これはパッチムなしだから ㄴ」
「これはパッチムありだから 은」
「これは ㄹ が取れるんだった」
と、自分なりに整理していたのです。
そして、その頃の私は、
「少しずつルールが分かってきたかもしれない」
と思っていました。
もちろん、細かい活用では迷うこともありましたが、それでも以前よりは自信がついてきたような気がしていたのです。
ところが、その安心感は長く続きませんでした。
ある日、있는 것 같아요 という形を見た瞬間、
「えっ?」
と、また手が止まってしまったのです。
また例外?と思って止まった
私が混乱したのは、있는 것 같아요 という形を見たときでした。
それまで勉強してきたルールでは、
形容詞は –(으)ㄴ 것 같다 の形になります。
そのため私は、
「있다 も形容詞なら、同じように活用するのでは?」
と思いました。
ところが実際には、
있는 것 같아요
となっています。
私は、
「あれっ?」
と思いました。
頭の中では、
「形容詞なら ㄴ や 은 が付くはずなのに、どうして 는 なの?」
という疑問がぐるぐる回っていました。
最初は、
「また新しい例外なのかな」
と思いました。
せっかく活用のルールを覚え始めたばかりなのに、また違う形が出てきたように感じたのです。
しかも、있다 はよく使う単語です。
「あります」「います」という意味なので、初級の頃から何度も見てきました。
それなのに、있는 것 같아요 という形になると、急に別の文法のように見えてしまいました。
今振り返ると、この頃の私は、
「形容詞だから全部同じルールで活用する」
と思い込んでいたのだと思います。
だからこそ、있는 것 같아요 を見た瞬間、
「ルールと違う」
という印象だけが強く残ってしまいました。
でも実際には、韓国語には、基本のルールだけでは説明しきれない活用もあります。
そのことを知るのは、もう少し後になってからでした。
調べてみたら、思っていたのとは少し違った
있는 것 같아요 が気になった私は、いつものように文法書や解説サイトで調べてみることにしました。
すると、そこで初めて知ったことがありました。
있다 と 없다 は形容詞ですが、現在連体形では「있는」「없는」という形になることを知りました。
例えば、
재미있는 것 같아요.
(面白いみたいです)
시간이 없는 것 같아요.
(時間がないみたいです)
のような表現です。
私はそれを読んで、
「そういうことだったのか」
と思う反面、
「これは自分では気づけないな」
とも感じました。
それまでの私は、
「形容詞なら (으)ㄴ が付く」
というルールで整理していました。
だから、있는 것 같아요 を見たときも、
「ルールと違う」
という印象しか持てなかったのです。
もちろん、文法書にはきちんと説明が書かれていました。
でも、その説明を一度読んだからといって、すぐに理解できたわけではありません。
むしろ、
「また一つ覚えることが増えたな」
と思ったのを覚えています。
今振り返ると、韓国語には基本のルールを知ることも大切ですが、それと同じくらい、実際によく使われる形に慣れていくことも大切なのだと感じます。
있는 것 같아요 や 없는 것 같아요 は、ドラマや会話の中でも本当によく出てきます。
だから最初は戸惑っても、何度も目にしたり耳にしたりするうちに、少しずつ「この形が自然なんだ」と思えるようになっていったのです。
後になって少し分かってきた
있다 が 있는 になる理由は、文法書を一度読んだから理解できたわけではありませんでした。
ドラマを見たり、例文を読んだり、日記を書いたりする中で、있는 것 같아요 や 없는 것 같아요 に何度も出会ううちに、少しずつ違和感がなくなっていったのです。
今振り返ると、私が一番勘違いしていたのは、
「ルールを覚えたら、すべて当てはめられる」
と思っていたことだったように思います。
もちろん、基本のルールを覚えることはとても大切です。
でも、韓国語には 있다 や 없다 のように、よく使われるからこそ独特の活用をする表現もあります。
最初は、
「また例外だ」
と思っていました。
でも今は、「韓国語ではこういう形で使うんだな」と自然に受け止められるようになりました。
それは、新しいルールを暗記したからではありません。
何度も 있는 것 같아요 という形を見たり聞いたりする中で、少しずつ頭の中に定着していったからです。
今でも、新しい文法に出会うと戸惑うことはあります。
それでも以前より、「最初は分からなくても、何度も触れていれば少しずつ見えてくる」と思えるようになりました。
今回の 있는 も、私にとってはそんな経験の一つだったのです。
まとめ
韓国語を勉強していた頃の私は、–(으)ㄴ 것 같다 の活用を少しずつ理解し始めた頃に、있는 것 같아요 という形を見てまた立ち止まりました。
形容詞なら (으)ㄴ が付くと思っていたため、
「どうして 있는 になるのだろう?」
と、とても不思議だったのを覚えています。
調べてみると、있다 と 없다 は現在連体形で 있는・없는 という形になることを知りました。
でも、その説明を読んだからといって、すぐに理解できたわけではありません。
ドラマや会話、例文の中で何度も出会ううちに、少しずつ「韓国語ではこの形が自然なんだ」と感じられるようになっていったのです。
今振り返ると、この出来事を通して私が学んだのは、「ルールを覚えたら終わり」ではないということでした。
韓国語には、基本のルールを知った後に、「あれ?」と立ち止まる場面が何度もあります。
でも、そのたびに調べたり、実際の韓国語に触れたりしながら理解を深めていくことで、少しずつ見える景色が変わっていきました。
これからも、また新しい文法や活用で迷うことがあると思います。
それでも今は、「また止まった」と感じたその瞬間が、次の理解につながる一歩なのだと思っています。
