はじめに
韓国語を勉強していると、「これから何かをしようとしている感じ」を表す表現に出会うことがあります。その中でも特に印象に残ったのが、「–(으)려고 하다」という表現でした。
ドラマや会話を聞いていると、「집에 가려고 해요(家に帰ろうとしています)」や「전화하려고 했어요(電話しようとしていました)」のように、自然に使われているのをよく耳にします。そのため、最初は「〜しようと思う」という意味の表現として理解し、「意志」を表す文法なのだと思っていました。
実際、日本語でも「〜しようと思う」という表現はよく使うため、意味そのものは分かりやすく感じていたと思います。そのため、「–(으)려고 하다」は単に“これから何かをするつもり”を表す表現くらいに考えていました。
しかし、実際に会話文を作ってみると、「–(으)려고 하다」を使うと自然に感じる場面と、少し不自然に感じる場面があることに気づきました。同じように未来の意志を話しているはずなのに、なぜかニュアンスが違って感じられたのです。
特に気になったのは、「ただ考えている」だけではなく、「実際に行動へ向かって動き始めている感じ」が含まれているように思えたことでした。ネイティブの会話を聞いていると、「–(으)려고 하다」は単なる希望ではなく、「今まさにそうしようとしている」という感覚があるように感じたのです。
今回は、そんな「–(으)려고 하다」について、実際に使ってみて感じた違和感や気づきをもとに、自分なりに整理してみたいと思います。同じように迷っている方のヒントになれば嬉しいです。
最初の理解(よくある勘違い)
「–(으)려고 하다」を初めて学んだとき、私はとてもシンプルに理解していました。「〜しようと思う」と訳されることが多かったため、「未来の意志」を表す文法なのだと思っていたのです。
そのため、「家に帰ろうとしています」と言いたいときには「집에 가려고 해요」と書いたり、「電話しようとしていました」として「전화하려고 했어요」と言ったりしながらも、「–고 싶다」や未来形と何が違うのかを深く考えることはありませんでした。
また、「–(으)려고 하다」は会話でよく使われるため、「少し自然な未来表現」くらいのイメージも持っていました。しかし、その“しようとしている感じ”が具体的にどんなニュアンスなのかは、正直よく分かっていなかったと思います。
さらに、「–(으)려고 하다」は、単に“やりたいと思っている”ことを表す表現であり、「가고 싶어요」と「가려고 해요」はほとんど同じ意味なのではないか、と感じていたこともありました。つまり、「〜したい」と「〜しようとしている」を、あまり区別せずに理解していたのです。
しかし、このような理解のまま使っていると、少しずつ違和感を覚えるようになってきました。同じように未来の意志を話しているはずなのに、「–(으)려고 하다」を使うと自然に感じる場面と、少し不自然に感じる場面があったのです。
特に気になったのは、「ただ気持ちがある」というよりも、「実際に行動へ向かって動いている感じ」が強く出るように思えたことでした。この違和感をきっかけに、「–(으)려고 하다」は単なる希望表現ではなく、“行動直前の意志”を含む特別なニュアンスを持っているのではないか、と考えるようになりました。
違和感が出た瞬間
「–(으)려고 하다」に違和感を覚えたのは、実際に会話文を作っているときでした。最初のうちは、「〜しようと思う」という未来の意志として使っていたのですが、いくつかの場面で「ただ考えているだけではない気がする」と感じるようになったのです。
たとえば、「家に帰りたいです」と言いたくて、「집에 가고 싶어요」と書いたときは、単純に“帰りたい気持ち”を説明している感じでした。
しかし、「집에 가려고 해요」とすると、「もう帰る方向で動いている」という、“行動へ向かう感じ”が強く出るように感じました。ただ願望を言っているだけではなく、「実際に帰ろうとしている状態」が含まれているように思えたのです。
また、「電話しようとしていました」と「電話したかったです」の違いも印象的でした。「전화하고 싶었어요」は気持ちの説明に近いですが、「전화하려고 했어요」とすると、「実際に電話しようとしていた」という、“行動直前の感じ”が自然に出ます。
さらに面白いと感じたのは、「–(으)려고 하다」は“今まさに始まりそうな場面”と相性が良いように思えたことでした。
たとえば、「나가려고 했어요(出かけようとしていました)」と言うと、「まだ完全には出ていないけれど、出発する流れに入っていた」というニュアンスが感じられます。一方で、単なる遠い未来の願望には、少し使いにくい感じがありました。
この経験から、「–(으)려고 하다」は単なる希望表現ではなく、「実際に行動へ向かって動いている状態」を含む表現なのではないか、と感じるようになりました。
つまり、「やりたいと思う」よりも、「今まさにそうしようとしている」という、“行動直前の意志”が強いのではないか、という考えが少しずつ見えてきたのです。
こうした違和感を重ねる中で、「–(으)려고 하다」は“希望”というよりも、“行動へ向かう流れを表す表現”に近いのではないかと思うようになり、改めて整理してみたいと感じるようになりました。
違いを整理してみた
これまでの違和感をもとに、「–(으)려고 하다」の使い方を自分なりに整理してみると、この表現は単なる希望や未来予定ではなく、**“実際に行動へ向かおうとしている表現”**だと感じました。
まず大きなポイントとして、「–(으)려고 하다」は**“気持ち”よりも、“行動へ向かう流れ”に意識が向いている表現**だと考えると分かりやすくなりました。
たとえば、「집에 가고 싶어요」と言うと、「家に帰りたいです」という気持ちを説明しています。一方で、「집에 가려고 해요」とすると、「帰ろうとしている」「もう帰る方向で動いている」という、“実際の行動に近い感じ”が自然に含まれます。
また、「전화하려고 했어요」と言う場合も、単に“電話したかった”のではなく、「実際に電話をかけようとしていた」という、“行動直前の状態”が感じられます。
この点で、「–고 싶다」との違いが見えてきます。「–고 싶다」は、“したい気持ち”そのものを表す表現ですが、「–(으)려고 하다」は、“その気持ちが実際の行動へ向かっている状態”を表すニュアンスがあります。
さらに、「–(으)려고 하다」は、“今まさに始まりそうな場面”でもよく使われます。たとえば、「나가려고 했어요」と言えば、「出かける準備をしていた」「ちょうど出ようとしていた」という流れが感じられます。
また、「먹으려고 했어요」と言う場合も、「食べようと思っていた」というより、「実際に食べる流れに入っていた」という印象になります。
このように見ると、「–(으)려고 하다」は、“意志”だけでなく、“行動の直前感”を含む表現だと感じました。つまり、「まだ完全には始まっていないけれど、もう動き始めている」という感覚が前提になっているのです。
また、「–(으)려고 하다」は会話の中で、“これから行動しようとしている感じ”を自然に伝える役割も持っています。ただ未来を説明するよりも、「今その方向へ向かっている」という流れがあるため、会話に動きが生まれます。
この点で、「–게 되다」との違いも見えてきます。「–게 되다」は“流れの結果としてそうなる感じ”を表しますが、「–(으)려고 하다」は、“自分の意志で行動へ向かっている感じ”を表します。
このように整理してみると、「–(으)려고 하다」は“未来の希望表現”というよりも、“今まさに行動へ向かう表現”と考えるとしっくりきました。
この違いを意識するようになってからは、「これはただ気持ちを言いたいのか、それとも実際に行動へ向かっていることを伝えたいのか」を考えて使い分けるようになり、「–(으)려고 하다」の自然な使いどころも少しずつ見えてきたと感じています。
具体例で理解する
ここでは、「–(으)려고 하다」が自然に使える場面と、「–고 싶다」などとの違いを、具体例で見ていきます。「実際に行動へ向かっている感じ」があるかどうかに注目すると、ニュアンスの違いが分かりやすくなります。
① 家に帰ろうとしているとき
・집에 가고 싶어요
→ 「家に帰りたいです」と、気持ちを説明している。
・집에 가려고 해요
→ 「家に帰ろうとしています」と、“実際に帰る流れへ向かっている感じ”がある。
② 電話をかけようとしていたとき
・전화하고 싶었어요
→ 「電話したかったです」と、願望を説明している。
・전화하려고 했어요
→ 「電話しようとしていました」と、“実際にかける直前だった感じ”が出る。
③ 出かけようとしていたとき
・나가고 싶었어요
→ 「出かけたかったです」と、気持ち中心の表現。
・나가려고 했어요
→ 「出かけようとしていました」と、“もう準備や流れが始まっていた”感じがある。
④ 食べようとしていたとき
・먹고 싶어요
→ 「食べたいです」と、単純な希望。
・먹으려고 했어요
→ 「食べようとしていました」と、“実際に食べる流れへ入っていた”ニュアンスになる。
⑤ 勉強を始めようとしているとき
・공부하고 싶어요
→ 「勉強したいです」と、願望を説明している。
・공부하려고 해요
→ 「勉強しようとしています」と、“これから実際に始める感じ”が出る。
このように見ていくと、「–(으)려고 하다」は**“実際に行動へ向かおうとしている表現”**だと分かります。単なる希望ではなく、「もうその方向へ動いている」という感覚が自然に含まれているのが特徴です。
また、「–(으)려고 하다」を使うことで、「今まさに始まりそう」「もう準備に入っている」といった、動きのあるニュアンスを自然に会話へ加えることができます。そのため、日常会話でもとてもよく使われます。
一方で、単純に気持ちだけを説明したい場合には、「–고 싶다」の方が自然になることもあります。そのため、「これは願望なのか、それとも行動直前の意志なのか」を意識することが大切です。
よくある疑問(Q&A)
ここでは、「–(으)려고 하다」を使う中で感じやすい疑問を整理してみます。
Q1. 「–(으)려고 하다」は単なる「〜しようと思う」ですか?
意味としては近いですが、**単なる気持ちではなく、“実際に行動へ向かっている感じ”**が含まれます。
たとえば、「집에 가려고 해요」と言うと、「帰りたい」というだけでなく、「もう帰る方向で動いている」という感覚が自然に出ます。
Q2. 「–고 싶다」とはどう違いますか?
一番大きな違いは、**“行動に近いかどうか”**です。
「–고 싶다」は、“したい気持ち”そのものを表します。一方で、「–(으)려고 하다」は、“その気持ちが実際の行動へ向かっている状態”を表します。
Q3. 「今まさに〜しようとしている」という意味でも使えますか?
はい、とてもよく使われます。
たとえば、「나가려고 했어요」と言えば、「ちょうど出かけようとしていた」という、“行動直前の感じ”を自然に表現できます。
そのため、「〜しようとしたところだった」という場面とも相性が良いです。
Q4. 会話ではよく使われますか?
日常会話の中でとてもよく使われる表現です。
特に、これから何かを始める場面や、行動直前の状況を説明するときに自然に使われます。
また、「今その方向へ動いている感じ」をやわらかく伝えられるため、会話でもかなり重要な表現だと感じました。
このように疑問を整理していくと、「–(으)려고 하다」は単なる希望表現ではなく、「実際に行動へ向かおうとしている表現」だということが見えてきます。最初は「–고 싶다」との違いに迷いやすいですが、“気持ちだけなのか、それとも行動へ向かっているのか”を意識することで、少しずつ自然な感覚がつかめてくると感じました。
まとめ
「–(으)려고 하다」は、「〜しようと思う」と訳されることが多い表現ですが、実際に使ってみると、その役割は単なる希望表現だけではないと感じました。
最初の頃は、「これから何かをしたい気持ち」を表す表現だと思い、「–고 싶다」や未来表現とあまり変わらない感覚で使っていました。しかし、実際に会話文を作る中で、「–(으)려고 하다」を使うと、“実際に行動へ向かって動いている感じ”が自然に含まれていることに気づくようになりました。
「–(으)려고 하다」は、単に気持ちを説明するのではなく、「今まさにそうしようとしている」「もうその流れへ入っている」という感覚を一緒に伝える表現です。そのため、行動直前の場面や、これから始めようとしている状況を話すときにとても自然に使われます。
また、「–고 싶다」のような願望中心の表現とは違い、「–(으)려고 하다」には“行動の直前感”が感じられることも分かってきました。
この違いを意識するようになってからは、「これは単なる気持ちなのか、それとも実際に動こうとしている状態なのか」を考えて使い分けるようになり、「–(으)려고 하다」の自然な使いどころも少しずつ見えてきたと感じています。
一見シンプルな表現ですが、こうした細かなニュアンスを理解することで、韓国語の会話はより自然で動きのあるものになります。最初は迷いやすいポイントですが、実際の場面や行動の流れと結びつけながら使っていくことで、少しずつ感覚がつかめてくるはずです。
今回の内容が、同じように悩んでいる方のヒントになれば嬉しいです。

