はじめに
韓国語の勉強を続けていると、「日本語では同じように感じるのに、韓国語では品詞が違う」という場面に出会うことがあります。
私にとって、その一つが 좋다 と 좋아하다 でした。
以前、私は 있다 が形容詞なのに 있는 になることに戸惑いました。「また例外なのかな」と思いながら調べて、少しずつ理解できるようになったばかりでした。
ところが、その後に出てきたのが 좋아하는 사람 という表現です。
私は最初、
「좋은 사람 と 좋아하는 사람 は何が違うのだろう?」
と思いました。
しかも、좋다 と 좋아하다 は意味がどこか似ているように感じられたため、当時の私には違いがよく分かりませんでした。
そのため当時の私は、
「どうして 좋다 は 좋은 なのに、좋아하다 は 좋아하는 になるの?」
という疑問が出てきました。
今振り返ると、私は日本語の「好き」という感覚を、そのまま韓国語に当てはめて考えていたのだと思います。
この記事では、私が 좋다 と 좋아하다 の違いが分からず、좋은 と 좋아하는 の使い分けに戸惑っていた頃のことを振り返りながら、少しずつ見え方が変わっていった過程を書いてみたいと思います。
私の中では「好き」は形容詞のような言葉だった
좋아하다 を勉強し始めた頃の私は、「好き」という言葉は形容詞のようなものだと思っていました。
日本語では、
「好きな食べ物」
「好きな人」
「好きな音楽」
のように、ごく自然に使っています。
そのため、韓国語でも同じような感覚で考えていたのです。
教科書では、
좋다 は「良い」、
좋아하다 は「好きだ」
という意味で勉強しました。
その頃は、それぞれ意味が違う単語なのだと理解していて、特に疑問を持つことはありませんでした。
ところが、連体形が出てきたとき、少し混乱し始めます。
例えば、
좋은 사람
(良い人)
という形は、形容詞の活用として自然に理解できました。
しかし、その後に
좋아하는 사람
(好きな人)
という表現が出てきたのです。
私は、
「どうして 은 ではなく 는 なんだろう?」
と思いました。
今思えば、その頃の私は「好き」という日本語のイメージが強く、「좋아하다 も形容詞のように活用するのではないか」と、どこかで思い込んでいたのです。
だからこそ、좋아하는 という形を見たときも、「またルールと違うものが出てきた」と感じてしまいました。
좋은 사람 と 좋아하는 사람 でまた止まった
私が本当に混乱したのは、좋은 사람 と 좋아하는 사람 を見比べたときでした。
それまでの私は、
좋은 사람
(良い人)
という形は自然に理解していました。
形容詞 좋다 が 좋은 になることは、これまで勉強してきた活用のルールにも当てはまっていたからです。
ところが、その後に出てきたのが、
좋아하는 사람
(好きな人)
という表現でした。
私は思わず、
「えっ?」
となりました。
頭の中では、
「『好きな人』なら、どうして 좋은 사람 ではないんだろう?」
「どうして 좋아하는 になるんだろう?」
という疑問がぐるぐる回っていました。
しかも、日本語では「良い人」と「好きな人」は全く別の意味ですが、どちらにも「好き」というイメージがどこか重なって見えます。
そのため当時の私は、
「좋다 と 좋아하다 は、どういう関係なんだろう?」
「同じような意味なのに、どうして活用まで違うの?」
と考え込んでしまいました。
今振り返ると、この頃の私は「意味が似ている言葉なら、活用も似ているはず」と思い込んでいたのだと思います。
だからこそ、좋아하는 사람 を見たとき、「また新しい例外が出てきた」と感じてしまったのです。
調べてみたら、品詞そのものが違っていた
좋아하는 사람 が気になった私は、いつものように文法書や解説サイトで調べてみることにしました。
すると、そこで初めて知ったことがありました。
それは、좋다 と 좋아하다 は、意味が少し似ていても、品詞そのものが違うということです。
좋다 は形容詞。
一方で、좋아하다 は動詞です。
私はそれを見て、
「そういうことだったのか」
と思う反面、
「だから活用が違っていたんだ」
と、ようやく疑問がつながった気がしました。
それまでの私は、「好き」という日本語の意味だけで考えていたため、좋아하다 も形容詞のように活用するものだと思い込んでいたのです。
でも、動詞だと分かると、
좋아하는 사람
(好きな人)
という形になる理由も、少しずつ理解できるようになりました。
もちろん、その説明を一度読んだからといって、すぐに頭に入ったわけではありません。
むしろ、
「日本語と韓国語では、同じような意味の言葉でも品詞が違うことがあるんだ」
ということ自体が、新しい発見でした。
今振り返ると、この頃の私は活用だけを覚えようとしていました。
でも本当に大切だったのは、その前に「この単語は形容詞なのか、動詞なのか」を意識することだったのだと思います。
後になって少し見え方が変わった
좋다 と 좋아하다 の違いは、文法書を一度読んだから理解できたわけではありませんでした。
ドラマを見たり、例文を読んだり、日記を書いたりする中で、좋은 사람 や 좋아하는 사람 に何度も出会ううちに、少しずつ見え方が変わっていったのです。
今振り返ると、私が一番勘違いしていたのは、
「意味が似ている言葉なら、活用も似ているはず」
と思っていたことだったように思います。
でも実際には、韓国語では意味が近くても、品詞が違えば活用も変わります。
좋다 は形容詞だから 좋은。
좋아하다 は動詞だから 좋아하는。
そう考えられるようになってからは、以前ほど混乱しなくなりました。
もちろん、最初から自然に理解できたわけではありません。
それでも、同じような表現を何度も見たり聞いたりするうちに、
「まずは、この単語が形容詞なのか動詞なのかを見てみよう」
と考える習慣が少しずつ身についてきました。
今でも、新しい単語に出会うと迷うことはあります。
それでも以前より、「意味だけで判断しないことも大切なんだ」と思えるようになりました。
今回の 좋다 と 좋아하다 の違いも、私にとっては韓国語の見方が少し変わるきっかけになった出来事だったのです。
まとめ
韓国語を勉強していた頃の私は、좋은 사람 と 좋아하는 사람 を見比べて、
「どうして同じような意味なのに形が違うのだろう?」
と、とても不思議に思っていました。
特に、日本語では「好き」という言葉を基準に考えていたため、좋아하다 も形容詞のように活用するものだと思い込んでいたのです。
調べてみると、좋다 は形容詞、좋아하다 は動詞という違いがあることを知りました。
でも、その説明を読んだからといって、すぐに理解できたわけではありません。
ドラマや会話、例文の中で何度も 좋은 사람 や 좋아하는 사람 に出会ううちに、少しずつ「品詞が違えば活用も変わる」という感覚が身についていったのです。
今振り返ると、この出来事を通して私が学んだのは、「意味が似ているから同じように使える」とは限らないということでした。
韓国語では、意味だけではなく、その単語が形容詞なのか動詞なのかを意識することも、とても大切なのだと感じています。
これからも、また似ている言葉に出会って「あれ?」と立ち止まることがあると思います。
それでも今は、その疑問を一つずつ整理していくことで、少しずつ韓国語の見え方が変わっていくのだと思っています。
